半年くらい前に国立新美術館でやっていた「ルーブル美術館」展と、サントリー美術館での「若冲と蕪村」展を同日に観たことを思い出したんだけど、その時に西洋絵画と日本の絵画の根本的な対象に対する認識の違いというものに気づいたので、少々考察を加えながら書き綴ろうと思う。
結論を端的にいうと、西洋は「面」、日本を含む東洋は「線」の文化なのではないかということ。
ここで「西洋」「東洋」という大雑把な括りは、本来なら厳密に定義をしなければならないけど、ひとまず「ルーブル」展でみた「洋画」と、「若冲と蕪村」展でみた「日本画・水墨画」を軸足に論を出発することにしたい。
「ルーブル」展は16世紀〜19世紀、油絵具を用いた写実的な技法によりルネサンス以降の庶民の生活を描いた作品を数多く展示していた。
おおよそ絵には輪郭線はなく、ものの境界は色の塗り分けによって空間的に引き離している。
例えば、フェルメールの描いた「天文学者」は、対象の存在を描くとともに、目には見えない光が描かれている。
衣服に落ちる影、背後の棚の影、対照的に照らされ輝く地球儀、明るい窓、それらは「光」を描くために周到に配置されたモティーフであり、カンバス上の演劇において意味を与えられた演出上の小道具となる。
「影を描くことで光を描く」という逆説的暗喩が、ルネサンス以降の西洋絵画の技法において常套句となっていく。
フェルメール「天文学者」(1668年頃,仏)ルーブル美術館蔵
さらに踏み込んで言えば、「光」が描きだすものは「存在」それ自体だ。
ものが「存在する」という極めて単純な事実を突き詰めて考察したのはハイデガーだが、ギリシア哲学からキリスト教圏の神学に連綿と受け継がれる文化史の中で、神と、それに対峙するわれわれが「存在する」ことを絵画の中でも問い続けたからこそ、ブルネレスキによってパースペクティブが見出され、また輪郭線のない写実的な技法が生み出されるに至った。
キリスト教圏には西洋絵画が生まれるべくして生まれた土壌があったのだ。
言うまでもなく「光」や「影」が落ちるのは、ものの「表面(面)」である。
ルネサンス絵画はものの表面の陰影を写実的に捉え、当時の民衆の感情、社会的背景などを含む内面をも描写するに至っている。
「影」を描くことで「光」を描き、「光」を描くことで対象物の「存在」を描く。
この陰影における三段論法こそがルネサンス期における西洋絵画を絵画史において位置づけるマイルストーンとなる。
その後、西洋絵画における「面」的な構成は近代においては印象派を経てブラック、ピカソといったキュビズムの画家たちに引き継がれる。
キュビズムは三次元的なものの存在を二次元の画布に描き写すために、ものの表面を分割し、歪め、対象そのものを「写実」以外の方法によって描き出した。
フランス語ではこの手の絵画における対象の変形を「デフォルマシオン(動詞:デフォルメ)」と呼ぶが、日本でも馴染みのあるこの手法は風刺画から輸入されることになる。
ジョルジュ・ブラック「カンバスの上のヴァイオリン、燭台と油」(1910年,仏)サンフランシスコ現代美術館蔵
これに対し若冲の描く絵画は、墨が織りなす圧倒的な「線」の世界だ。
「若冲と蕪村」展で展示されていた「双鶴図」の鶴など、迷いなく一息に描かれた薄墨の輪郭が鶴の背中と背景を分割し、同時に鶴の白さをも描き出している。
また若冲は影を描かず、描く対象そのものの存在を輪郭をもって周りの世界と切り離す。
この手法は西洋絵画と好対照を成すけれど、この線画の技法は今や老若男女に愛される日本の「マンガ」へと受け継がれる。
「白」を白色で描くのではなく、墨の輪郭のみによって「余白」に「白」を感じさせる技法は、油彩による西洋絵画ではみられない東洋独自の表現といえよう。
伊藤若冲筆「双鶴・霊亀図」(18世紀,日本)MIHO MUSEUM蔵
また、アメコミ(アメリカン・コミック)を思い出してほしい。
アメコミでは人物の影が往々にして入り、背景がこってりと描きこまれるのに対し、日本のマンガは背景をそこまで描き込まない風潮にある。
これは「面」の文化と「線」の文化の差異の発現とも言えないだろうか。
アメコミと日本のマンガの違い(「IRON MAN」、「よつばと!」)
閑話休題、ここで東西の建築に目を向けてみる。
レンガや石を積層することで壁を築き、アーチ型に積むことで開口部を空けるのが西洋建築のおおまかな組み立て方だ。
「西洋建築(近現代を除く)」というと思い浮かべる古城やカテドラル、行政施設などの権威的建築にはほどんどこの構法が採用されている。
『三匹のこぶた』の童話(英国)では藁葺、木造、レンガ造の3つの家を作ったぶたの兄弟たちが登場するが、藁葺や木造の家は悉く破壊されレンガ造の家だけが残った。
これは組積造が構造的堅牢性から建築のヒエラルキーの頂点に君臨するという当時の西洋の建築観を象徴する寓話でもある。
無残に破壊される藁の家と木の家 ©Disney
一方、唐から建築技術を輸入した日本は、多湿の東南アジア圏では伐採してもすぐに草木が生い茂るという地域特性より、豊富な森林資源を利用した木造建築技術を極めていく。
和辻哲郎が日本の造園技術について「自然に人工的なるものをかぶせるのではなく、人工を自然に従わしめねばならぬ*1」というとき、僕らはこの環境がアミニズムから神道という独創的な信仰を生み出していくプロセスに肉薄する。
たとえば長野県の諏訪大社で7年に1度執り行われ、日本三大奇祭にも数えられる「御柱祭(おんばしらさい)」は、山から木を切り出し、運搬し、神社の境内に立てるという一連の建築プロセスを神事として形式化したものであるし、伊勢神宮は「式年遷宮」という20年に1度の建替えによって常に社が更新され、神殿そのものが永遠の象徴であり、神話を受け継ぐ存在へと昇華させている。
日本人にとっても身近な木造建築は、近代化が敷衍するつい50年ほど前まで日本を覆い尽くしていた。
寺社仏閣はもとより、堅牢性の求められる城郭や蔵にもことごとく木材は使用された。
日本の伝統的な木造建築は土台に柱を立て梁を架けて三次元のグリッドを構成し、その上に屋根材を葺く。
こうして比較すると、西洋と日本の建築における圧倒的な差異が見て取れるだろう。
端的にいえば石やレンガによって組積することで壁を作り、そこに孔を穿つ西洋と、木材の軸組(柱・梁からなるグリッド)から組み立てる東洋(日本)の違いである。
ここに前述の「西洋の絵画」と「日本の絵画」を半ば強引に嵌合させると、「面」と「線」の違いという抽象的な構成(=概念構成)による文化の差異が浮上するのではないか、というのがこの話の論旨だ。
絵を描くとき、ひいてはものを見る時、西洋と東洋(日本)における対象の捉え方には、「面」か「線」かという根本的な差があるのではないだろうか。
そして生み出される芸術作品、建築など文化全般に影響を与えているのではないか。
広重が、かの有名な「大はしあたけの夕立」において雨を無数の線で描いたことは、当時の西洋の画家・文化人たちに大きな衝撃を与えたといわれている。
絵巻物の昔から使われてきた古典的な手法で、僕らはアニメやマンガで見慣れているこの表現も、「面」の文化からすると認識の外側にある衝撃的なものだったのかもしれない。
こうした日本的な「線」への還元を建築において意識的に行っているのは建築家の隈研吾氏である。
隈氏が屋根・壁面全てに木ルーバーを取り入れた「馬頭広重美術館」以降、木ルーバーは現代建築にたやすく「日本的なもの」を取り入れる手段としてあらゆる建物の外観・内観に利用されるようになる。
那珂川町馬頭広重美術館(2000年,栃木/日本)
そもそも構法が面的な鉄筋コンクリート造の、のっぺりとした外観に日本人は耐えられず、「面」を「線」的要素に還元すること、表面に「文(あや)」をつけることで、そのナイーヴなメンタリティを保持することができた、というのは決して誇張ではない。
ここまできて、じゃあ光を「点」に還元したのはスーラじゃないかとか、ライプニッツやモナドロジーはどうなのとか、仏像には「面」という捉え方は無いのか、等という議論を始めたらもはや収拾がつかなくなってしまうので、この辺りに論を留めることにしたい。もっと話したい方は飲みにでも行こうよ。お誘いお待ちしてます。
グダグダと書き連ねたが、「面」と「線」という観点から東西の建築や絵画、その他文化的な諸々を眺めると結構これが面白くて、文化の深層心理というか、風土のもつメンタリティへの理解に一歩近づくような気がしている。